:: Last Episode


◆ 前回までのおはなし  ◆ 妖精譚 もくじ

 

むかしむかし、常夜の森と常光の森に、黒妖精と白妖精が住んでいました。

常夜の<調べの森>を総べる黒妖精の王は、王妃が見つけてきた人界の金色の花の種を芽吹かせるよう、花楽師のクロミットに命じました。

<調べの森>には星月の光しかなく、太陽の力がたりません。
クロミットは、出会った夜光宝飾師モーダと協力し、ふたつの相交わらぬ妖精の森のはざまにある<あわいの丘>で昼の世界の種を芽吹かせようと試みます。

が、ふたりが偶然見つけた魔王クリスタル出現の証である石片を使ったことで、種はぶきみな変化をおこしました。

モーダは樹木医エメーラのもとに助けをもとめにいきます。
ところが、エメーラは科学者的な興味を示すものの、これはすべなし、とにべもないありさま。

続いて助けをもとめた光石師姉妹フーシーとフーリーも、浄化はしてくれたものの、咲かせる方はお手上げです。

困惑したり面白がったりする一同のもとに、白妖精の気配のするうさぎがひょこりと現れました。

このうさぎは何と、<詩の森>にすむ白妖精の新女王、ハーニでした。

彼女は、自身の危機を救った白妖精騎士を追ってきたのです。
素性のしれない白妖精騎士は婚約までしたものの、城に居つかず、気儘な放浪を一向にやめないのでした。

ハーニは白妖精の仲良したち…燈花師ナーリン、霧絵師トリル、影染師ソイノ、香茶師アイメ、虹宝飾師ミーチャ、そして途中で出会った薬師マイスと、冒険などしつつこの森へやってきたのですが、森の魔法にひっかかってうさぎになってしまったようです。

ハーニの師である霧の妖精ローアは、なにかを知っているらしく、ハーニたちに書花のしらせをもたせましたが、紆余曲折をへて、それらはどうやら、黒妖精王のもとに届いた模様です。

黒妖精王は禁忌の太陽が差すという山の底の禁域へと、単身飛び立ちました。

<調べの森>には大きな異変がおきていました。


水の記憶 1 妖精王は闇をゆく
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水の記憶 2


「白妖精だ」
「白妖精がいるわ」
「なぜ」
「なにごとが起きたのだ」

<星石>と<月石>、色とりどりの夜光花、水繻子の織物を跳ね泳ぎつたう夜光魚たち。
輝く星空さながらの宮殿の謁見の間で、黒妖精の廷臣たちがささやきます。

ひそめきあう声々を、眠る鳥にでもふれるような手の動作で黙させた者がありました。

病身とはいえ、威厳と気品をうしなわない黒妖精妃でした。

掲げられた手に、廷臣たちはこうべを垂れ、羽を無音で一度震わせ、宮廷礼をとりました。
王妃もまた優雅に答礼しました。

「愛しいあなたがた、ご存じのとおり、われらが森に異変がおこっております。その異変の鍵となるしらせを、これなる方々が運んでくださいました」

小さな姿が歩み出ました。
妃にならい、ドレスを摘まんで膝を折り、礼をしたのはあどけない少女です。
不思議なことに妖精の羽をもたないものの、幼いながらも太陽の色を髪に、大気の色を瞳に宿し、陽薔薇の白さの肌をしたその姿は、一目で高位の白妖精と知れました。

「わたくしは<詩の森>のハーニ。遠き兄弟姉妹でいらせられます皆々様、貴き静寂をみだす闖入をなにとぞおゆるしくださいませ。ゆえあって、霧の長老ローアより、急のしらせを託されてまいりました」

森を閉じているとはいえ、白妖精の新女王の名くらいは知られています。
黒妖精たちは、穏やかな種族らしく動揺のささやきを波紋のように広げました。

一方、少女の後ろで連れの白妖精たちの明るいひそひそ声がしましたが、少女はふりかえって、しいっとか言うのでした。

「ようこそいらっしゃいました、ハーニ様」

瞳をなごませつつ、ふたたび一同を鎮め、王妃は優しい声で続けました。

「皆様、まずは、昔語りをせねばなりません」




◆◆◆◆◆◆




王は闇の底にいました。

つまさきを下ろしたのは、ごく小さな足場です。皮膚の内側にさえしみこんできそうな、まったくの暗闇、巨大な水のひろがりのうちに、ただ一点、つきでた何かの突起の上に、彼は立っていました。

ここもかつては銀紡虫や、盲目水蛇、光青舌蜥蜴などが住んで、地下には地下なりに、豊穣な命の気配がひしめいていたといいます。

いまや一片の光もなく、そこは闇の世界でした。
けれども沈黙の世界ではありませんでした。

黒妖精王はじっと息をひそめ、耳を澄ませました。
すると、どうでしょう、歌声がきこえます。黒妖精の耳でなければとらえがたい小ささで、ともするとただの水滴や波音と聞き違うほどなのですが、たしかにそれはきこえます。

うたっているのは、王の足下にひろがる、暗い水たちでした。


 夜が降りる まぶたの上の手にも似て
 闇が満ちる やわらかな産着にも似て
 おきき 額にくちづけされ 吐息もてうたわれし子守歌

 ねむれ ねむれ いとし子よ
 とわに とわに いとし子よ



王は唱和し、月胡弓を奏でました。

 しとねは羽毛、薫り乾草、ひかりのなごり織りしうすぎぬ


そのとき、ふいに水の歌が乱れ、広大な地下湖全体が波騒ぎました。
同時に押し殺したようなうめき声が底から湧きあがりました。


 ねむるものか…




◆◆◆◆◆◆




…… かつてわれわれは神々でした。

琴と笛を伴に、王妃は物語りました。

…… しだいに力をうしない、縮みゆき、この姿にかわっていったといいます。

白き民、黒き民、ともなるわれらが祖王にして最後まで神の姿をもっていた者がいました。
かれは夢の神でした。いつからかすさまじい悪夢にさいなまれ、ついにはおのれでおのれの首を切り落とし、その胴は四散し、幾千幾万の雨滴となりました。

雨がやむと、森が育ちました。

首ばかりとなった神は語りました。

 わがのちに生まれ来る子らよ
 汝ら半ばは、われを悼み、わが夢を守れ
 汝ら半ばは、われを忘れよ、光のもとへかろやかに去れ

首は崩れ、その眼球は白と黒と、二顆の種子となりました。
種子はふたもとの王木となりました。

白妖精は白き種の子孫。
光のもとに生きる者。

黒妖精は黒き種の子孫。
森の底に、夢の神をいたみ、悪夢をいだき、 守る者。

けれど悪夢は、稀にめざめかけては、おのれを宿すべきうつわとなる者を探すのです。
悪夢がさきごろめざめかけたとき、とらえたのは、……




◆◆◆◆◆◆




突然、王が手にしていた月胡弓が激しく震えだしました。

みるまに形を変え、二匹の蛇となり、水面下にむけて牙を剥きます。蛇はさらに変化し、弦と弓とは、それぞれひとふりのつるぎに変わり、王の手にふたたびおさまりました。

それと、なにものかが水を揺らがせ、せりあがってくるのが同時でした。

きん、と鋭く高い音が暗闇のなかに響きわたりました。

水面下から王に斬りかかってきたもののつるぎと、王のつるぎが硬くぶつかりあったのです。刃は白い火花を発し、一瞬地下湖の姿を照らしだしました。

王が立っているのは、湖上に一本突き出た、妖精銀の飾り柱の上でした。

交差したつるぎ越しに、王はささやきました。

「眠り飽いたか、乱暴者よ」

「飽いたぞ」

何者かは答えました。 再度の白刃の打ち合いで光が散ります。

「夢のまにまに、お前と斬り結ぶことだけ考えていた」

「このたびはいかがする。魔物の国へゆき、王を討ち取り魔王を名乗り、飽きたらず、またも同胞に挑み、君臨せんとするのか」

問いに、つるぎ越しの、青と金の色違いの双眸がきらめき笑いました。

「ああ、まずは俺を眠らせたこの両手を斬り落としてやる。お前を孤独で憐れな楽器にしてやる。俺の影はもう<詩の森>を手に入れた。その女王とともに」

「まかりならんな、だが」

王もまた常の静かな様子からは思いもよらぬ激しさで、紫の目をぎらつかせて笑いました。

「両手ならば、くれてやろう」





水の記憶 3


むかしむかし、この森に、小さなやんちゃな妖精王子がおりました。
妖精銀のつるぎを手に、意気揚々と、水晶葉の舟にのり、敵をさがしにいきました。

だれも王子を叱ったことがなかったので、王子は乱暴者でした。

夢中になってつるぎをふるい、青いうろこの魚の目や、
水鳥の胸、白い蝶の羽を刺し、切り裂いたので、ゆくてには悲鳴がみちました。

王子は笑いながら、はしゃぎながら、あらぬ敵を追って、
凱旋の日をゆめみて、森のかなたへと向かいました。

それっきり、かえってはきませんでした。


しかし魚の王、水鳥の王、蝶の王が、あるとき水際で語らいました。

ゆるすまい。
ゆるすまい。
ゆるすまい。

あの者の目を刺せ。
あの者の胸を刺せ。
あの者の羽を刺せ。

あの者がこれからほふるものの百の影、千の影がことごとく身にからみつくよう。
その影に、目を刺され、胸を刺され、羽を刺されるよう。

去った王子にひそかな呪いをかけよう。





◆◆◆◆◆◆




その一瞬に何が起きたものでしょう。

落日を受けた湧き水さながらにほとばしりでた血は、王の右腕からのものでした。

妖精王は、打ち合うはずの刃の代わりに右腕をさしのべ、自ら、その腕を切らせたのです。
血をかぶり、落ちていく腕を見もせず、彼はなおも左腕の剣を振るいました。

「酔狂者」

興じた騎士が、剣を閃かせます。ひとふりを王のつるぎと絡め、ひとふりに風を纏って王の腹を突いた先、ふいに吸い込まれるような空の色が現れました。

「わたしの騎士さま」

闇に溶け消えた王のかわりに剣を受けたのは、白い手の少女でした。
暗闇であるにかかわらず髪は太陽の色に、瞳は大気の色に輝いています。
妖精の至宝とうたわれた愛くるしい微笑みに、騎士は一瞬たじろぎ、飛び離れました。

「幻か」

「なあに?」

少女は何のことかと問いたげに幼いしぐさで首をかしげます。しかし剣をふるうその技はかろやかに鋭く、切っ先が風にひるがえる葉裏の様をして騎士にせまります。

騎士は警戒と殺意をよみがえらせ、少女と剣を合わせました。
少女は睦言めいてささやきました。

「あなたが今見ているのは、あなたが、殺されてもいいと思っている者の姿なのです」

その言葉を聞いた騎士がどのような表情をしたものかはわかりません。

ひとつの叫びが発され、地下湖全体をゆるがし、水も岩もざわめき、反響がおんおんととどろきました。

騎士は剣を振りかぶりました。青ざめた刃が少女の細首に迫ります。

不思議な響きをさせてうなる妖精銀の柱の上で、少女はただあどけなく微笑んでいました。

いつしか、地下湖の水がゆえしれぬ光をおびて白に銀にたゆたい、うねっていました。




◆◆◆◆◆◆




「王」

広間に悲鳴が沸きたちました。

忽然と現れた妖精王は、総身血をかぶった凄惨な姿をしていました。
高座へと歩みゆき、向き直ると、穏やかな視線で臣下を制します。

すると水絹を跳ね躍る銀鱗のものたちもひれをやすめ、夜光花を世話する星蜂たちも透き羽をたたみ、しん、と凍る静けさがひろがりました。

「待たせた」

言うと、王は幼げな白妖精の女王を見ました。
そしてただならぬ気配と血に怯えるその様子も気にとめず問うのでした。

「青と金の瞳の男を愛していると言った」

「はい」

「彼がもはや魔物でもか」

「はい」

「救いたいか」

「はい」

ハーニは泣き出しそうになりましたが、聡い眼差しの白妖精の少年が肩にそっとふれると、こらえ、涙をためた目で妖精王を見つめました。

「来るがよい、光の子」

王は言いました。

同じ青ながら、深い夜のしじまを瞳に湛えたクロミットが、ぽつりと問うでもない問いを零しました。

「王よ、御手は」

王は一瞥したのみで答えませんでした。




◆◆◆◆◆◆




「水の者たちよ、つどいて環をなせ」

王の声に、妖精たちは環になりました。

違う記憶、違う夢、違う世界をつなぐ扉となるこの環は、妖精の環と呼ばれています。

いま、それをつくるのは水の精でした。

雨のささやき、せせらぎの子守歌、滝の機織歌、湖水の波の舞曲。
水の精たちがかそけく歌い奏で、舞いつどい巡るその環のなかで、清水の髪のキュリスが膝をつき、身を沈め、<星石>にいろどられた黒玻璃の床にふれました。

すると床は水面となってすきとおり、ふれた指先から波紋をひろげます。

キュリスはそのまま、ひたりと掌をあて、水の世界にいるいきものたちを見つめました。
彼女は地下水の精であり、<月石>や<星石>から光を水に溶かしだし、それぞれの夜光木や夜光魚に合った<光水>をつくる光水師です。

ぞっとするほど遠くまで澄んだその水の、深い、遠い底には、すきとおった体の<星魚>がいました。ふだん透明に闇に溶けているはずのかれらは、いまや吹き散らされた白い火の粉といったありさまで発光し、群舞していました。

狂乱した<月魚>が体表をまっさおにかがやかせ、あぎとを開いて、その群れへとおどりかかっていました。

「水が震えているわ」

「こわがってるみたい」

滴飾りを髪につらねた雨の精ソイノと、咲きほころんだばかりの花冠をした朝露の精アイメが不思議げな面持ちで水の上に立ち、ひざまずいて水面を撫ぜました。波紋が幾重にもひろがり、足下の遠い深い光がちらつき、ゆがみました。

「あなたたちもわかるの。そう、震えてるのよ」

滝の精ミッサラは、霧を織り上げたレースを水面に半ば溶かして思案にふけります。

「震えてるってどういうこと?」

風の精ユリヤが問うと、泉の精エメーラが酷く興味深そうにしながら答えました。

「水は、たとえていえば、複数の孔があいたビーズに糸がゆるく通ってつながっているような形をしていて、それがしなやかに伸縮したり折れ曲がったりして動き回っているのですが、その動きが、糸が切れそうなほど活発になっているのです。ミッサラでも整えられないくらい。われわれ水から生まれた者、水に生きる者たちだけがわかるのでしょう。それにしても<月魚>の狂乱索餌を初めて見ました」

言う間にも水底の晶砂が舞い上がり、夜光魚たちは輝き散りさわぎました。

やがて王が静かに歩み来て、水の精たちの環に入り、告げました。

「黒き子よ、そして白き子よ」

王はその場のひとりひとりを見つめました。

「わたしは沈める騎士と剣をまじえ、両腕を供物としてかれを夢にひきずりこみ、いまやそなたらの足下、この水脈のゆくて、深きところに身を沈めた。この姿は影である」

「王」

悲鳴のような細い声を発した王妃へと、王は語りかけました。

「そなたを置いてはゆかぬ。来よ、妃。クロミット、モーダ、フーシー、フーリー、エメーラ、ミッサラ、タリラ、キュリス、ユリヤ、ルーシェ。そしてハーニ、ネネ、トリル、ソイノ、メーノ、ナーリン、アイメ、ミーチャ、マイス」

名のひとつひとつをいとおしげに呼ぶと、王の姿は水煙につつまれ、床の水面をゆらめかせ、水晶屑のさざめきをちらばせた飛沫とともに消えたのでした。

波紋が消え去るまで誰も動かず、水の歌も絶えて、広間は静かでした。

やがて王妃はうなだれていた顔を上げ、妖精たちに願いました。

「皆様、病める足手まといの身でございますが、どうかお連れくださいませ」

妖精たちはうなずき、あるいは手をさしのべました。
水の精たちはふたたびささやき歌い、地下水の精が指を組んで、祈り歌を歌いました。

 水よ、母よ
 この身を銀の滴とし、あなたのもとに還ります
 銀の雨をしとどにつれて、あなたのもとに還ります


キュリスは輝くひとしずくの水と変わり、黒い水面にしたたりおちました。
妖精たちは皆、水滴に身を変え、銀の波紋をえがいて降りそそぎました。




◆◆◆◆◆◆




魔王は歓呼の声を一身に浴び、すべてのものを傲然と見下ろしていました。

望みは叶いました。

妖精女王との壮麗な婚礼をあげ、白妖精の国を手に入れました。
邪魔をしようとする者たちもたやすく薙ぎ払い、したがわせ、黒妖精の国へと攻めいり、これもまた手に入れました。

黒妖精王を討ち、両手を切り落として鎖でつなぎ、新城の礎にしました。

彼はいまやすべての妖精と魔物、<調べの森>と<詩の森>のみならず、すべての妖精国と魔国を統べる者となりました。

並びなき王として君臨し、自分を仰ぐすべての目に憧れとおそれを、舌に服従の誓いを宿させました。

その水晶の城は<あわいの丘>の夜と昼のはざまに立ち、水晶の蜂鳥が水晶の花の蜜を舐め、水晶の闘魚が水晶の床を跳ねおどり闘う、えもいわれぬ絢爛さを、妖精詩人たちが讃えてやむことがありません。

いっそう見事なのは、つながれてうたいつづける黒妖精王の歌でした。

 わが愛しきものたちは 寂び寂びと鳴る骨と風
 嘆きの声も涙の雨も 乾き吹き散り うせ去った
 この声もまたかれはてて ことごと白く 吹き散ろう


黒妖精の歌に、魔王は酷く満足しました。

傍らを見れば、その悲しい歌に泣きつつも自分を一心に慕うけなげな少女がいます。

彼は満ちたりながら、どこか奇妙なうつろさをかかえて物思いをしました。

……もはや敵もなく、望みもない。

奇妙な虚脱におちいったその瞬間、魔王は片目に霜が降りたか、あるいは火で燃えたかというような感覚をおぼえました。

思わずおさえたそこに、つめたいものと熱いものがふれました。

刃と血でした。

青と金、色違いの瞳のうち、黄昏の黄金を湛えた片目に、剣が突き刺さったのでした。
続いて羽が破られ、のけぞった胸にもそれは埋まりました。

鈴を振るような声がします。

わたしはあなたの目を刺します。
なぜならあなたがわたしの目を刺したから。

わたしはあなたの羽を刺します
なぜならあなたがわたしの羽を刺したから。

わたしはあなたの胸を刺します。
なぜならあなたがわたしの胸を刺したから。


身体中に剣を突き立てた魔王の耳元に、呪いの声は優しくささやきました。

「誰だ」

「お忘れになったの?」

「ハーニならば泣いている。それにあいつには羽がない。黒妖精に細工させて、妖精銀の羽飾りをつけてやろうと思っていた」

少女は無邪気に笑いました。
そしてまたひとつ、剣を埋めました。

そのとき彼は気づきました。

自分が闇の地下湖に突き立った飾り柱に立っていること。
発光する樹木のかたちに伸びゆくそれに、身体が呑みこまれつつあること。
そして、自分がまだ闘っていること。

切り結んでいるのは、手首から先がない、剣を握ったふたつの手であることを。





水の記憶 4


妖精たちが、しずくとなって湧きでたのは、薄明のなかでした。

深い水からそびえる巨柱と、支えのアーチの繊細なつらなりが見えます。水面からもとの姿に変わって透き羽をはばたかせ、それへと寄ったとき、妖精たちはおののきました。

巨柱とアーチと見えたものは、伸びひろがった輝く樹木であり、その樹肌の凹凸は、大小無数の顔が集まったものだったのです。

白妖精らしき顔も、黒妖精らしき顔も、人間らしき顔も、魔物らしき顔もありました。
根に近いものほど眠ったようにしていますが、いくつかは目と口を開き、叫ぶ表情をしています。またいくつかは目から煌々と輝く飛沫をおとし、銀色に煙る枝垂葉のように見えます。

月の精フーシーがふとくちずさみました。

 調べの森の奥深く 木漏れ日のさすその泉

 汲めども尽きず とめどなく かれぬ涙のその泉
 夜明けの青と宵の金 ふたいろの夢はてるまで


「王」

重なり、和した声は、妖精王のものでした。
水際に眠る巨大な顔の傍ら、水上に彼は立っていました。
夢中で羽をはばたかせ、傍らにきた王妃を見て、王は懐かしいような目をしました。




◆◆◆◆◆◆




われらは夢である。

夢より生まれ、夢へと帰る者たちである。

われらが父なるものもまた夢であったが、悪夢に食い荒らされ、おのが首を斬り、おのが知る美をのみ両の目に遺し、ほかは雨滴と散らしめた。

雨は多くの泉と霧をなしたが、もっとも暗く重いものはここに溜まりゆき、湖をなした。

暗き湖の名をスール、<目>といい、光に焦がれ湧きいづる泉をジョール、<涙>という。

かつてこの暗い夢に呼ばれ、また呪いにとらわれた王子がいた。
王子は夢にて魔を生み、魔王を生み、魔国を生んだ。
わたしは挑みきた王子をこの夢に還し、夢と闘わせ、眠りの歌にて蓋をした。
ふたたび挑みきたときには、わが腕を供し、墓標の柱に喰らわせた。
いましがたのことだ。あるいはあとさきに人の子の時間で千年を経たことかもしれぬ。

この柱に、わたしは、そなたらをまた喰らわせよう。



◆◆◆◆◆◆




王に寄り添った王妃の姿が消えました。

クロミット、モーダ、フーシー、フーリー、エメーラ、ミッサラ、タリラ、キュリス、ユリヤ、ルーシェ、黒妖精たちがともに消えました。

声もなく見守る白妖精たちを見つめ、滴の音ばかり響く静寂のうちに、ひとり残った王が口をひらきました。

形容しがたい笑みを黒妖精の王はうかべていました。

「白妖精の女王も供儀にもらいうけたい」

とっさに羽をひろげて飛び、妖精銀の短剣を抜き、ハーニを守ろうとした白木蓮の精ナーリンのくるぶしを水が撫でとらえました。

滴のつぶてを投げようとしたソイノとメーノ雨の精たち、そして水煙でハーニを隠そうとした霧の精ネネとトリルは、沈黙する水に惑います。

アイメは花冠にひそませた露から朝の光を放って王の目を焼きましたが、王はアイメをつかのま静かに見たのみでした。

ミーチャが光の道筋を少し曲げてハーニの姿をくらませ、マイスが小さな手でハーニの手をひいて逃げようとしたとき、どこからともしれぬ呼び声がしました。

「ハーニ」

打たれたようにふりむいたハーニは目をみはり、次の瞬間、泣きだしました。
名を呼んだのは、誰あろう、かの騎士の苦しげな声だったのです。

「ごめんなさい。いかせて」

ハーニは泣きながらマイスの手をふりほどき、王と樹へと寄りました。

<千の顔の樹木>がざわめきました。

叫びや苦悶の表情をしたいくつかの顔がハーニを見ました。

第一の顔が言いました。

……汝を苦しめるものから、汝の幸福を奪いかえそう。
飢餓と渇望を思いださせるものはひきずりおとさねばならぬ。汝を苦しめたものが憫笑にふさわしきありさまとならねば癒えぬだろう? やすまらぬだろう? わが名は嫉妬。

第二の顔が言いました。

……汝を苦しめるものに制裁を下そう。
おびやかされた恐怖と苦痛を投げかえしてやろうではないか。汝を苦しめたものが裁かれ、しかるべき苦痛を与えられねば癒えぬだろう? やすまらぬだろう? わが名は怒り。

第三の顔が言いました。

……汝を苦しめるものに涙を見せ、そやつの罪悪をしらしめよう。
汝の苦しみをとくとわからせねばならぬ。汝を苦しめたものが、おのが罪悪を知り、悔恨によりひれ伏し媚びる姿を見ねば癒えぬだろう? やすまらぬだろう? わが名は悲傷。

声々のうちに、いっそう激しい、何色ともつかぬ凍える色の第四の顔が言いました。

……汝を苦しめるものの総身を切り刻もう。
悔悟さえもゆるすまい。哀訴を聞きつつ踏みにじり、切り刻み、焼き尽くし、塵灰にして風に攫わすことを夢見るだろう? さらずば癒えぬだろう? やすまらぬだろう? わが名は憎悪。

第五の顔は灰か雪のひそかさでしんしんと言いました。

……汝を苦しめるものいっさいを拒もう。
光さすともたちまち黒く苦き水に呑まれよう。凍れ。暗く狭き牢にこもれ。頭蓋に反響するおのれの声のみ聞け。もはや癒えぬだろう? やすまらぬだろう? わが名は絶望。

それは白妖精が長らく忘れていた暗い声でした。

身を裂かれるような、ハーニの細い悲鳴が響きわたりました。




◆◆◆◆◆◆




どれほどの時がたったことでしょうか。

水音にまざって妖精王の声が響きました。

 クロミットよ、冥き水底を撫でやすめる蒼き月の手よ。
 モーダよ、雪消の歓びと痛みをいだくましろき花の叫び。
 フーシー、フーリー、悪夢の瞼に添う母の頬、梢に笑う銀の実よ。
 エメーラ、万物を探り知らんとする暗く清き眼、ものおもう水よ。
 ミッサラ、裂け岩をいだきしめ、まろませる絹の腕よ。
 タリラ、柔土の寝床さがしゆく眠り綿よ。
 キュリスよ、凍み刺す水を纏う白玻璃鱗の子。
 ユリヤ、葉らをうたわせ涼しく夜を駆けゆくものよ。
 ルーシェ、霜降り音も爆ぜ音もいつくしむ耳よ。

 ナーリン、果敢に深みを照らす白き燈火よ。
 ネネ、木霊の森に漂いゆく探求の霧よ。
 トリルよ、ふれはせでかたちを撫ぜ知るおぼろな指。
 ソイノ、地に踊る真珠よ。
 メーノ、葉蔭にまどろむ真珠よ。
 アイメ、かぐわしのしずく、さりし夢ときたるめざめに湧く涙よ。
 ミーチャよ、太陽の黄金の毬にてあそぶ手よ。
 マイス、獣たちの糧ならんとする献身の果実よ。
 そして、

 ハーニ、光りほころぶ真金よ。


王は呼びかけ、呼びかけた名のごとに、総毛だつような、あるいは心臓をゆさぶるような、いくつもの音色が生まれました。

いまだ眠れぬ顔たちの声に黒妖精たちの声がよりそい、ともに暗い歌をうたいました。白妖精たちの声はその僅かやわらいだ表情の上に陽光と歓喜をうたい降らせました。

水も、樹も、土も、岩も、声々を聴いてうたい、その歌をすべての妖精たちが聴き、かれらもまたうたいました。

霧の精ローアの書庫にしまわれた<書花>には、ハーニがうたった最後の歌が、絶望の顔の瞼をとじさせたことが記されています。

それは、ひとつの長い夢の終わりでした。





最終章 黄金の花


騎士は、片目と片翼をうしない、酷く傷ついて、薄明の丘をさまよっていました。
手には自ら刎ねた金髪の少女の頭部をたずさえ、睦言をときおりささやきかけます。

「どうした、ちっとも泣かなくなったじゃないか」

少女の首は空色の瞳で自分を見つめてほほえんでいます。

「何とか言え」

金の髪の隙間から覗く小さな耳にくちづけて言い、彼はどこか子どものように笑います。やがてゆっくりと膝を折り、大事そうに少女の頭を抱えて仰向けに倒れました。

霧の晴れ間に、指先まで染まりそうな光の破片が覗きました。
目をとじて少女の名を吐息でよびます。

「泣いていらっしゃるの」

その問う声は、あどけない涙声でした。騎士は瞼を見開きました。

頭上の空と同じ色の瞳に、しずくをたくさん溜めて、ハーニが自分を覗きこんでいます。泣きじゃくって、震えて、あまりものが言えないようでした。

「泣いているのはお前だろう」

ぱたぱたと騎士の頬に涙が落ちました。

胸にあるものがただの白い花弁であり、指先にふれた頬があたたかく柔らかく確かなことを知ったとき、騎士は身をおこす間も惜しんで少女の肩を掴み、胸の上に引き倒しました。息がつまるほどの抱擁に、ハーニはくるしい、とささやきます。

「あなたを探したいのに、あなたの名を呼べませんでした」

拗ねたような声に、騎士は口を開き、微かに笑いました。
金髪に跳ねおどる陽光がまぶしく、目を細めます。
失われたはずの片目にも太陽が沁みました。

「アリスタルク」

騎士が口にした名は、ハーニが生まれるずっと前に生まれ、森のかなたへと消えた、白妖精の王子の名でした。




◆◆◆◆◆◆




妖精たちは環をえがき、風の精たちは花弁を撒いて舞い、ある者は夜光花鈴を鳴らし、ある者は樹皮のタンバリンを打ち、ある者は手をたたいてうたいました。

そこは<あわいの丘>の上。

ハーニとアリスタルクの婚礼は、白妖精も黒妖精も招かれ、盛大にとりおこなわれました。
にぎわしい語らいと宴が、昼と夜のはざまのそこで続きました。

花嫁の何と美しかったことでしょう。
明けの空とも宵の空ともつかぬ薄明のうちにその目は至福の青さにみち、ほほえみかけるすべての者たちを幸福にしました。

その様子は霧の精の<書花>に記されていますが、いまは<書花>を閉じましょう。

そういえば、ひとつだけ。

 こころせよ 森へ入る者 調べの森にはよそもの入らじ
 入らば害なき獣とならん われらが友はわれらのみ

この歌は、黒妖精王と白妖精女王の、それぞれの森への帰還の後、絶えて聞くことがなくなりました。 黒妖精たちは森の門のいくつかを、白妖精たちのために開いたのです。

アイメとキュリス、サラとエメーラ、ルーシェとハヌーサは特に親しくなり、互いの森を行き来したと、<あわいの丘>を旅する綿毛が教えてくれました。




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闇の森はその日も静かでした。

透き羽をたたみ、舞い降りて、ひさひさと大きな落ち葉を踏んで、黒妖精たちは森の奥へといきました。さきをゆく王の義手には酷くまばゆく輝く石があり、クロミットの手には花の種がありました。

王は森の底に<太陽石>をおきました。
白妖精の女王ハーニとその姉妹サラから贈られたものでした。

一歩離れ、銀の手を動かして月胡弓を奏でます。すると、厚く重なり合った枝葉の天蓋がやわらかに開いて、ひとすじの黄金が注ぎました。

黒妖精たちは太陽にひるみ、目をふさぎましたが、王はしばしその光のうちにたたずみ、慕わしげにして退きました。

花楽師クロミットが歩みでて琴を一音二音つまびくと、あたりの丈高い草はそうっと退いて場所をあけました。

そこに種はおかれました。

モーダがあたりに銀片を撒きます。その上を跳ねる複雑な光の舞踏が生まれ、あたりがいっそう明るみます。

白妖精からもらった朝露の水差しから、エメーラが注意深く水をそそぎます。

フーシーとフーリーは、まぶしすぎる光に怯える闇の森の草や樹々に、呪文で呼びかけてなだめます。

かがんだまま、あたりの囁きが静まるのを待ち、やがて、クロミットは奏ではじめました。

種は、むずがゆそうに土の上で震えましたが、とうとつに、ぽん、とはじけてつやつやしい緑の芽を覗かせ、みるみるうちにのびてくねり、やがて枝分かれした茎先に金色を滲ませ、それをふくらませていきました。

幸福な眠りからさめゆく瞼のようにつぼみが開き、黄金が咲きこぼれたとき、ふだん滅多に大声をあげない黒妖精たちが歓声をあげました。

王妃の顔が太陽の黄金と花の黄金にいろどられてつぼみとともにほころび笑うのを見たとき、王は顔をそむけて僅かに泣きました。

つらい夢は終わったのです。





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